気分屋さんの恐怖

西暦2000年前後の時。
私の部屋には、CD―MDコンポがあった。
このコンポは、CDを一気に3枚入れることができ、MDを入れる所が上と下に2ヶ所あるという優れものだった。この2ヶ所の内の下のMDでは、CDの曲やラジオ番組の音声を録音できた。更に、上のMDから下のMDへも録音ができて、編集もできた。
しかし、購入して3年経った頃から、ややおかしくなった。
時々、上のMDの取り出しボタンを押すと、上が出ずに下のMDが出て来た。
「オマエちゃうがな!」
と、思わず関西芸人風のツッコミをいれてから、間違えて出てきちゃった方のMDの頭を引っ込めるのだが、これは笑って許せる。
しかし、このコンポは時々笑えない失敗を犯した。
当時、毎週、”放送室”というダウンタウンの松本人志のラジオ番組を聴いていた。この番組が滅法オモロかった。
だから、直接聞かずに、MDに録音しといて、後日じっくり聴いていた。
ところが、録音を失敗することがあったのだ。
通常、録音が終わると、ディスプレイに“writing”という文字が3~5回点滅して、データ書き込みが終わる。
しかし、文字の点滅が10回以上、30回も繰り返されて、挙句の果てに「ジージーカシャッ」と、MDが外に出てくることが、時にあった。
いわば、書き込み失敗という意味で、その日の番組は録音されていない。笑いと情報を渇望する私にとって、習慣化している番組が聴けない、観れないということは、食い物の恨みよりも恨めしいことであるから、笑えない。
しかし相手は機械だから、不用意に突っ込めば、ますますボケることになる。この点は芸人さんと一緒だ。しかし相手が人間ならば、ペチーンと頭を叩いても笑いがおこるが、機械の場合は、リモコンの命令に従わなくなったり、ひどい時にはこちらの手の骨が支障をきたしたりしてしまう。中学生の時、テトリスがクリア出来なくて、ゲームボーイの画面に鉄拳制裁をくらわして、画面をクリアにしてしまった友人がいたが、そんな結果は避けたい。
ゆえに、顔を真っ赤にして、拳を見えない血がしたたるほど握りしめて、「グムム~」とひたすら我慢するほか策は無かったのである。

以上より、機械にとって一番厄介なのは、時々おかしくなるということである。
常におかしいのであれば、壊れたと見なして処分すればよい。
しかし、時々オカシイの場合、捨てるのは勿体ないし、買い換えるには高価過ぎる。
私のコンポの場合、録音を失敗するのは、10回に1回ぐらいの割合だ。修理に出しても、"原因不明ですな修理代の方が買いかえるよりも高くつきますよ"という診断結果が出そうな症状である。完全に壊れて新しい製品を購入するまで、時々「グムム~」が続くのだ。

同時に当時の洗濯機も、時々ボケる電器製品の類だった。
洗剤を入れて、ボタン1つ押せば全行程を実行してくれる、ごく普通の全自動洗濯機だった。
だがしかし、時々脱水をとばしやがる。通常、洗い→脱水→すすぎ→脱水と進むはずが、洗い→すすぎ→排水で終わるから、洗濯物に洗剤泡がついているは、ビチョビチョだわである。
だから、洗濯をする時は常に見張っていて、脱水をとばした瞬間電源を切り、脱水に設定しなければならない。
時々の失敗があるせいで、洗濯機を回したまま、外出したり、風呂に入ることができないから非常に悔しい。

以上のような、気分屋さんと化した電器製品はどこの家にも居ると思う。
高校生の時の友人のステレオは時々、大音量になった。友人が夜、ステレオをつけたまま、トイレに入っていたら、ウルフルズのガッツだぜ!が唐突に彼の住宅界隈にこだました。近所の赤ちゃんや犬がパワフルに泣き出した。友人があわててトイレをとび出してからボリュームを下げるまでが、ボクサーがリングでダウンする時にアドレナリンが分泌されてスローモーションになる状態になったそうだ。激怒する両親に、霊のシワザと言い訳したそうだ。以来、友人が音楽鑑賞をする際には、ボリュームのツマミをずっと監視していた。

機能の向上よりも、時々ボケない電化製品を生産することこそ、メーカーの今後の課題といえよう。