昭和生まれのさだめ

【※"ラメン食ぶる悲しい受験生(随筆)"から移転した記事】

貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横町の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
窓の下には神田川
思い出した 神田川である

私が改造人間だった頃、赤いマフラーをして、敵を投げ飛ばしに行くために神田川沿いを走った記憶がある。私は昆虫と掛け合わせて改造された。なんの昆虫なのかは忘れたが、蠅と掛け合わされてザ・フライと呼ばれていた同僚に比べたら、まだマシな方である。

神田川沿いは自動二輪の進入が禁止なので、自転車でパトロールしていた。所々で、幾本もの金属製の太い棒が立ちはだかり、容易に通り抜けさせませんと、進入禁止をうたっていた。かれらの隙間を通るのは自転車では困難。ひん曲がったやつも居たりして、長たらしい曲に沿ってくるうりと自転車をロウリングさせなければならない。横着して降車せずに走り抜けようとすれば、ペダルが当り、ガガンと身体全体ごと響きハンドルがとられる。
夏場、素足にビーサンの状態は足の小指をぶつけたときの痛みは9999京鼻毛である。

貴方は私の 指先見つめ
悲しいかいって きいたのよ
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただポールのやらしさが 怖かった


もうすぐ高田馬場駅という所の屋に、大行列が出来ていた。たかがラーメン一食のために、よくもまあ並び待つものだ。どうせ、バッタもんでしょと冷視しながら通過して、敵をしずめるために走った。
しかしある日、立花さんにしつこく誘われて、そのラーメン屋に行くことになった。
屋内はそれほど広くなく、三畳一間の小さな下宿よりは勿論広いが、カウンター沿いに横並ぶ椅子達と、出入口の付いた壁の間は、人間1人しか通れない程の幅である。
私の目の前に麺が置かれた。おやっさんの力と技と正義と愛がうなっている。

父よ 母よ 妹よ

しかし、私の真後ろでズラリと並んで無言で待つ敵の圧が凄まじい。無音の空気を貫く熱視線を感知し後頭部の血が燃える叫ぶ騒ぐ。赤い 赤い 赤い耳の私。
当店に漫画が設置されていなくて良かった。悠長にコチ亀を読みながら麺をすすろうものなら、後方より踵落としを喰らうことであろう。


【モデルとなった店】