低学年の脳①

小1の春、天気の良い日に体育の授業が終わった。校舎正面に向かって左端にある水飲み場で"田原君"とウダウダしていると、皆グランドから居なくなっていた。
本来なら、水飲み場と真反対に位置する校舎正面の右端から校舎裏へ回り、直進して、両腕が無い二宮金次郎の銅像前を通過し、更に直進して、校舎裏の一番端まで行き、そこから下駄箱へ入場しなければならない。
しかし、我々が居た水飲み場の側にある出入り口から校舎に入ると、廊下を数メートル歩くだけで、校舎裏に位置する下駄箱に着く。要するに、校舎の縦幅分だけ移動すれば良かった。
田原君が禁断なる近通路の入口から侵入したので、私も後に続いた。ところが田原君は、入口をくぐるや何故か四つん這いになり、両手の平と両膝を接地させながら廊下を移動したのである。
なんで、そんな、ややこしい歩き方をするんだろう??と不思議に思いながらも、私は普通歩行をした。
因みに、この近道が悪徳行為という意識は、幼さのせいかまだ無かった。
すると、丁度担任の先生とバッタリ出くわし、「コラッ!」と叱られ、
私だけが叩かれた。
「へ?」
私は何故怒られたのか分からず焦った。そして自分だけ叩かれるという差別めいたモノを受けたことに悲しみ、独り泣いた。

後日、決められた通路を使用せず、皆の規律を乱すような横着行為は罪であるということに気付き、叱責された理由が判明した。
だが、なぜ私だけが叩かれたのか?という釈然としない謎がまだ残存していた。
考えに考え抜いた結果、ある結論に至った。 田原君は四足歩行することで、移動の困難さを表明していた。近道をするからには、これぐらいの枷を自分に課しまっせ、そこまで早々に下駄箱に到達出来やしません、と。
そういう怠惰の無さが担任に伝わり、罪が軽減されたのだろう。いっぽう私は堂々悠々と二足歩行していた。開き直りにとられかねない罪意識の薄弱さが、担任を辟易させたのではないか。
そして、それなら当然、田原君には近道が罪という認識があったんだ。罪の意識すら持てなかった自分はなんて世間知らずなんだ。彼は大人だなと敗北感を味わった。

両手両膝を地に着くことで”外履き”を廊下から浮かせたまま移動する田原君に対し、両足で踏んで移動する私の”土足行為”が、非常な悪行とみなされていたのだと気付いたのは、ずんと後である。






【関連記事】
低学年の脳②

幼児の脳

中学年の脳

高学年の脳①