元気?

「元気ですか?」
って、久しぶりの知人から聞かれて、
「元気じゃない」
って答えたことある?

私はかつて「元気じゃない」と答え、「そこは元気だよ」と十五歳年下の青年に叱られたことがある。
そこで反省して、久々に出会った人から「元気?」と聞かれたら、「元気だよ」と答えることにしている。
しかし、元気じゃない時もある。
「元気じゃない」と誰かに伝えることで、ただ真実を話すだけで、気が楽になると心理学者が言っているので、やはり元気じゃない時は、「元気じゃない」と言うことにした。
しかし、それが出来ない立場になってしまった。
私は専務だったが、社長が急逝されて、私が社長になってしまった。
社のリーダーを務める以上、「元気じゃない」と言ってはいけない。
妻と子にも言えない。彼等も社員だからである。
両親にも頼れない。父は『富良野で自給自足生活する』と言って飛び出し、母は三十年前に『牛乳を買いに行く』と言って出て行ったきり戻ってこない。
誰にも、「元気じゃない」と言えないのだ。
診療内科に行けば良いではないかと言う人も居るだろう。
しかし、私はかつて神の手をもつドクターだったし、自身の写真が表紙の『家庭でできるオペ』シリーズなる累計二千万部突破の著書のおかげで、どこへ行こうと、『先生の御本読ませて頂きました』、『先生の御活躍を知り、医師を志しました』と崇められる。
プライドも邪魔して『元気じゃない』とは言えないのだ。
小学校の恩師を訪ねたく、教員名簿を取り寄せてみたが、皆さんの氏名の末尾に(故)が付いていた。
中学には行けない。私が行っていた頃に親が多額を寄付していたようで、私の一族に対して頭が上がらないのだ。行った途端、盗んだバイクで走り出しても怒れなかった校長、校長が怒るなと命令したので怒らなかった教頭、顔はやばいよボディやんなと舎弟をけしかけてブロウいれられた学年主任が、平身低頭で手を擦りながら出てくる。とてもじゃないが、「元気じゃない」という空気を醸し出そうとしても、『またまたご冗談を。景気いいそうじゃないですか』と打ち消されるのだ。
高校にも行けない。中卒だし。
せめて、風邪を引いていれば、「風邪です」と言える。しかし、風邪ならばどうせ早く治るし、心配されなくて終わってしまう。もっと重い病気や怪我をしたところで、治癒すれば終わり。所詮は”期間限定心配”である。
なんにせよ、身体のどこにも異常はないのに、元気じゃないのだ。 私のように、地位と名誉が独り歩きしている人間は行き場がない。
誰かから指示されて何も考えずに動くだけになれば、元気になるかもしれない。
そういう思想を、”奴隷の幸福”と呼ぶことにする。