げんこつしつ (小4)

小4の時の理科は、学級担任ではなく、五十代の男である前野先生が担当だった。
しゃがれた声でよく喋るが、まあ厳しい。すぐにゲンコツをするので、”前野ゲンコツ”と呼ばれていた。
2校時目で、実験が長引くと、平気で長休憩を潰した。また、”前野私立入学試験”と命名した自作の難解なテストを抜き打ちで行った。
校内で1番厄介な先生と言われても過言ではなかった。
理科理科と2校時連続がある日は、誰もが憂鬱になった。とおしの日は、理科室に呼び出されることが多かった。
理科室は、”ゲンコツ室”と呼ばれていた。ゲンコツ室の椅子は、木製の四角いやつで角角していて、前野先生の頭部みたいだった。背もたれが無いので、うっかりすると、背もたれが無いことを忘れて宙へ寄り掛かり、転倒する。

ある日の実験時間。牛乳パックや割り箸を使用して風車を作った。各々の班ごとのテーブルの中央に、4人で作った風車が置かれた状態で、前野先生が口を開いた。
「これから実験する。まだ触るなよ」
そう言われた矢先に、風車の土台である牛乳パックの下の方をちょいちょいと指でつついただけで、
「けえ、触るなっちゅうに」と後頭部をガツーン!

先生あのね。
小4って結構すぐに先生に言われたことを忘れるものなんだよ。決して悪気があったわけではないよ。
そして、この拳骨がとてつもなく痛い。外部ではなく内部の脳に衝撃が浸透して、劇的な鈍痛がいつまでも響き渡る。そして翌日からは外部がズキズキする。
理科室の後ろには、実験で扱う器具がズラリ並んでいた。一番左に1年生が扱う器具があり、右に行くほど使用学年が上がっていく。特に高学年の棚には、レーダーのような高そうな機器があったりして、興味をそそる。池部君の席は、一番後列の一番右だった。高学年器具と近かった。
ふと授業中に、池部君が実験器具を構っていた。席を立ち、先生に背を向けて夢中になっている。前野先生が話しを止めてツカツカ後ろへ歩いて行く。池部君が威厳の気配に気付いて振り返り、ビクッとした時はすでに遅し。
ガッツーン!
何回注意されても、構う子だった。器具を見てると衝動を抑えられなくなるのだろう。何回拳骨されても、席を立ってしまった。

「なあ池部、今先生が話していたことを言ってみろ。なんて話してたあ」
ある日、池部君が器具を構っていると、背後から言葉を浴びせられ、その場でモジモジしていた。
そして、前に呼び出された。
「おい、なあ、言ってみろお。池部え」
黒板の前で、池部君と対峙して凄む先生。すると、池部君が弱気な声を発した。
「僕は、実験の道具を触っていて、先生が言われていることを聞いてませんでした。すいませんでした」
すると先生が、怒りの表情を解いて笑みを浮かべた。
「そうか。正直によく言ったな。ようし、もっと、前に来い」
そして先生は、両腕を大きく広げた。かの猛厳なる教師に抱き締められ、良い子良い子されると思った池部君の顔がほころんだ。堂々と一歩前へ歩み寄る。その教師は、両手を合わせるように両腕を閉じた。
パシィーーーーーーンッ!!
強烈音が轟いた。両手に池部君の顔が挟まれていた。前野先生の厚堅い手の平により両頬を押し潰された画は、正に”あっちょんぶりけ”。池部君はすすり泣きながら席へ戻った。この大技は、後にも先にもこの時だけだったが、『ダブルペッチン』と名付けられた。

先生あのね。
褒められると思った生徒に対してそういう罰を下すのは、小4にとっては、厳しい行為であり心も傷つくよ。一生のトラウマになるよ。ぶたれると思いきや撫でられる…そういった逆の行為は素晴らしいけどね。
最も、二年後の小6の時には、池部君はその出来事を笑い話にしていた。
そう、小4にとって、多少叩かれて叱られるぐらい、何の事は無いコトだった時代。
現代は小突くだけで体罰扱い。また、ダブルペッチンを会社の上司が部下にしたら、大人の世界でやっちゃったら、なんたらハラスメントひいては傷害事件扱いで書類送検にもなりかねない。うっさい。