雷 (小5)

私は雷を、人一倍いや人三倍も怖れる気の弱い人間だった。
小5の真夏、雷が鳴った時、親が居ない時は特に怯え、窓を閉めて鍵もボタンがカチッと鳴るまでかけていた。(雷が横から入ってこない保証もない)
そして、毛布を押し入れの冬物棚からひっぱりだして、その上に羽毛だか羽根の分厚い布団を投げ落とし、それら二層を全身に被ってブルブル震えていた。

同時に、とにかくメンタルが弱く、本番に弱い人間だった。
私は小5でスポーツ少年団に入団してサッカーを始めたら運動能力が開花し、特に持久力が身についた。
体育授業の八百メートル走でクラス一位となり、陸上競技大会の学校代表選手に選ばれた。先ずは、市の予選大会が行われた。
開催地である市民陸上競技場は、一周が四百メートルもある壮大なパノラマトラックで、目が回った。
しかもその地面は、高地にある学校のような土砂ではなく、赤紫色の弾力ある都会を匂わすゴム製が敷かれ、その表面には細やかな粒粒が散りばめられての滑り止めが効いたハイグレード。
加えて、他行からの参加選手達は、長身やら、既に声変わりした猛者風。
それらのオーラに圧倒され、私はスタート前から負けていた。
緊張で動悸を目蓋で感じ、卵ボーロをめいいっぱい詰め込まれたように口内の水分はゼロで、呼吸の仕方を忘れた。
競技中は吐き気が幾度も訪れ、立ち止まっては、ゲップのような空気ガスをガフッ、ゲフッ、オフッと吐き続けた。勿論ゲベ。
泣く以外できることがない中、「でも完走偉いね」と担任に励まされた。
後に、クラスメートと遊んでいる最中に、飲みかけのコーラのキャップを回した時にバスッ!と炭酸音がすれば、
「オマエが走ってるみたいだな」 と、イジられた。私より遅い人間に冷やかされた。私より馬鹿に馬鹿にされた。

ある日、鈴木君と下校していると、ピカッと光り、二人で目を合わせ、「光った!」と言った瞬間、雷鳴が轟いた。
私はダッシュした。家まで一キロぐらいあると思う。途中、急な坂道もある。しかし全ての道程を全力疾走した。雷の恐怖がスタミナ切れを感じさせなかった。
自宅にゴールした時、雷は遠くへ行っていた。門の前で、今初めて気付いた荒い呼吸をゼエゼエしていると、鈴木君が50メートル先の角からひょいと姿を現した。相も変わらずマイペースぶりを発揮してジョグしてた。こういう人間が後に、大して喋らないくせにコンパで一番モテたり、健康で文化的な最高生活を送るから、人生不公平である。

陸上競技大会の時に雷さえ鳴ってくれたら、断トツ一位。大会新。永遠に打ち破られない。緊張なんて関係ねえ。
尚、大人になってからは、雷が鳴った際に布団を被りても意味が無いことを学習したので、もう被らない。
しかし、時に、憂鬱で気分が重い夜中に、幽霊が出るかもという”八つ墓村モード”になる時があり、そういう時は布団を被るが、映画は”呪怨”を見て以来、布団の中にも幽霊が居ることが有り得ると認識してしまったので、そういう時は、歌舞伎町のど真ん中へ出向き、例え深夜になろうと、いや深夜こそ生身の人間が欲望を剥き出すが為に活気みなぎる賑やかな場所と化するので、ポン引きが見える場所で安堵しながら過ごす。
しかし、田舎の実家に居る時は、出向ける歓楽街が無い。居ても立っても怯えた場合でも、まさか、母の寝床に潜り込むわけには行かない。そこで、近くの山中にある墓地へ逃げる。夜の墓場なら、幽霊が出ても普通っぽいし、運動会を観れるかもしれない。